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土佐市の文化財(詳細)


木造愛染明王坐像

四国36番札所青龍寺所蔵

寄木造りで肉身部真紅、腰裳花文彩色を施す。
像高は約113cm、獅子冠を頂き、焔髪、三眼、両口辺に牙を表わす。 六臂の右第一手より五鈷杵、箭、蓮華を持ち、左第一手より五鈷鈴・弓・挙印をとる。面相等ややしまりが乏しく総体的に形式化が認められる。しかし六臂の整った力強い佳品で、土佐愛染明王像中の優秀作と評されている。(鎌倉時代の作)

明治初期小学校授業風景図絵馬

明治初期における小学校の授業風景を、高岡の走寄に住んでいた絵師の久保南窓(柳太郎1848〜1917)が揮毫し、明治11年高岡東小学生徒惣中から、松尾八幡宮へ奉納したものである。
 教場の内部が細密に描かれており、学制発布直後の様子を知るうえで、学術的にも非常に貴重である。
 県立歴史民俗資料館にこの複製が展示されている。

蓮池の樟

西ノ宮八幡宮の神木で本殿の裏にある。
樹高は約29mで、地上約10mまでは直立し、上部は分岐が多い。樹勢は旺盛でよく四方に伸び、樹姿は均整を保ち整っている。幹まわりは8.5mで樹令は約750年と推定されている。

木造薬師如来立像

四周35番札所清滝寺所蔵。一木造りで像高約154cm、彫眼、彩色、像容は極めて古様である。肉髻は高く大粒の螺髪は強く立ち丸顔に眉は長く弧を引き、上瞼にふくらみをもたせて眼を長く切り込む。肩幅は広く腹部に膨らみをつけ両大腿部を盛り上げている。
 衣文線は浅く単調に流れた感があり、一見貞観風のおもむきをもちながら、やや時代の下ることを示しているが、弘仁期の特色もある。
 一木造り特有の量感をもち、当地方では最も古く最優秀作の一つで、行基の作といわれている。(平安時代後期の作)

梵鐘

真宗大谷派正念寺所蔵。口径17.1cm、鐘身の高さ22.1cm、笠形の高さ0.6cm、竜頭の高さ6.9cmで、総高29.6cmの小型で素朴な梵鐘である。
 鐘座はニヶ所で、乳は三段三列に並び、上帝、中帯、下帯とも無紋。池の間には左から右へ二列に古拙な書体の「井手寺」の陽鋳がある。
 この寺名は、京都府綴喜郡にあった廃寺の井手寺ではないかといわれている。(平安時代前期の作)

蓮池城址

 蓮池城は今から約800年の昔、平家方の蓮池権頭家綱によって創建されたが、寿永元(1182)年源氏の討伐を受け、家綱は越知に逃れたが遊行寺の近くで討たれた。
 その後、藤原国信が城主となり大平氏を名乗った。
代々土佐七雄の一人として君臨し、全盛期の勢力圏は、鴨部、芳原、諸木、蒲の内、日下、越知に及び、領内の社殿の造営や修復などとともに、城主国雄の時代には文芸の高揚にも事績を残している。
 群雄割拠の中で、城主国興の時代に一条氏に攻められ、およそ350余年続いた大平氏は滅んだ。
 そして一条氏の番城となったが、やがて長宗我部氏に奪われ吉良親実が地主となる。
天正18(1590)年(異説あり)親実は元親に切腹を命ぜられその後は廃城となった。
 城跡は城山と呼ばれ、桜の名所として親しまれている。